2025年3月末、長年にわたり多くのファンに愛され続けたジャニーズ発のグループ「KAT-TUN(カトゥーン)」が、正式に活動を終了しました。
2001年に6人で結成され、2006年のデビュー以降、唯一無二の世界観とエッジの効いたパフォーマンスで音楽シーンを駆け抜けた彼ら。その終幕は多くのファンに衝撃と感傷をもたらしました。
そんな中、「KAT-TUNはなぜ解散したのか?」「誰かの問題が原因だったのか?」という声が根強く残っています。
この記事では、2025年12月に放送されたテレビ番組『あちこちオードリー』(テレビ東京)で元メンバーの中丸雄一さんが語った内容をもとに、KAT-TUN解散の真相に迫ります。
■KAT-TUN解散の真実:中丸雄一「俺のせいじゃない!」
番組では、中丸さんがKAT-TUNというグループに対する思いや、活動終了の背景について率直に語りました。
印象的だったのは、若林正恭さんからの「グループがなくなった原因って誰なの?」という問いかけに対して、即座に笑いを交えて返した一言。
「俺のせいじゃないですよ!」
この発言が放送されると、ネットでは「中丸くん、はっきり言ってくれてよかった」「疑ってごめんなさい」といった反応が多く見られました。
この“冗談交じりの一言”の裏には、実は多くの憶測や誤解が存在していたのです。
■「中丸=解散の引き金」説の背景とは?
なぜ「中丸さんが原因なのでは?」という疑念が広がったのか。
そこには、週刊誌報道と解散のタイミングが大きく影響しています。
◆ 週刊誌による“女子大生との深夜接触報道”
2025年2月、KAT-TUNの解散が正式発表される直前に、週刊誌が中丸さんのプライベートを取り上げた記事を掲載しました。内容は、「某バーで女子大生と過ごしていた」というもので、写真つきで報じられました。
この報道と解散発表の時期が重なったことにより、「不祥事が解散の引き金だったのでは?」と結び付ける人が続出。SNS上でも一部で“戦犯探し”のような風潮が見られました。
しかし、実際には解散の話し合いはそれ以前から行われていたとされています。今回の番組での中丸さんの発言により、報道と解散の因果関係は否定された形です。
■KAT-TUNというグループの歴史と変遷
KAT-TUNは、2006年に華々しくCDデビューを飾りました。当時は6人組で、ジャニーズJr.時代から絶大な人気を誇っていたこともあり、異例の規模でのデビューとなりました。
- 赤西仁(2010年脱退)
- 田中聖(2013年脱退)
- 田口淳之介(2016年脱退)
こうした脱退劇を経て、2016年以降は3人(亀梨和也・上田竜也・中丸雄一)で活動を継続していました。
さらに2016年から2018年にかけては充電期間と称して活動を一時休止し、その後再始動。3人はそれぞれ個人での活動にも力を入れながら、グループ活動も並行して続けていました。
■“3人のKAT-TUN”としての葛藤と判断
番組内で語られた中丸さんの発言から見えてきたのは、KAT-TUNとしての活動に対するメンバー間の思慮深い決断でした。
「自分たちも個人の活動で手応えを感じるようになっていた」
「3人でのKAT-TUNに、これから何を足せるのか考えたとき、前向きな終わり方を選んだ」
つまり、ネガティブな事情やトラブルが原因での解散ではなく、「それぞれの人生と向き合うための卒業」だったのです。
中丸さんは、自身が決断の発端ではないことを明言したうえで、最終的には「みんなが納得して前向きに解散を選んだ」と話しており、そこには3人の信頼関係と冷静な判断力がありました。
■涙の解散ライブと「ありがとう」の言葉
解散発表後に開催されたKAT-TUNのラストライブ。
このコンサートでは、3人がこれまでの歩みとファンへの感謝を胸にステージに立ちました。
報道によると、3人全員が涙を流しながら「ありがとう」と語ったそうです。
このステージで見せた姿は、単なるビジネス上の解散ではなく、“人生の一つの章の幕引き”という印象を残しました。
そしてこのラストライブをもって、KAT-TUNとしての活動は正式に終了。長年連れ添ったメンバー、そして支えてくれたファンとの関係性に終止符を打ったのです。
■赤西仁との交流も明かされる「たまにLINEする」
KAT-TUN初期の絶対的エースとして知られた赤西仁さんの脱退からは15年以上が経ちました。
グループ離脱後はソロ活動を中心にし、アメリカや中国でも音楽活動を展開した赤西さん。グループとの“距離”があった印象が強い彼ですが、番組内で中丸さんが意外なエピソードを披露しました。
「たまにLINEが来たりするんですよ。“元気?”とか」
このやりとりからは、過去のわだかまりがすでに解消されていること、そして時間の経過とともにメンバー同士の関係性も柔らかくなっていったことがうかがえます。
こうした背景を知ることで、KAT-TUNの“解散”が「ネガティブな終わり」ではなかったという印象がさらに強まります。
■ファンの声:「終わってほしくなかった」から「ありがとう」へ
KAT-TUNの解散は当然ながら、ファンにとっても大きな出来事でした。
SNSでは、
- 「もうKAT-TUNが見られないなんて信じられない」
- 「でも、最後まで走り抜けてくれてありがとう」
- 「またいつか3人で集まってくれたら嬉しい」
といった声が溢れました。
グループの終幕に対する寂しさはあれど、メンバーの選択を受け入れ、背中を押すような温かい言葉が多かったのが特徴的でした。
また、音楽ストリーミングサービスなどではKAT-TUNの楽曲が再注目され、ランキングが急上昇するなど、“ラスト”を惜しむ形での再評価も進んでいます。
■KAT-TUNは本当に“終わった”のか?
形式上は解散とされたKAT-TUNですが、完全に“消滅”したわけではありません。
- 音楽作品は引き続き配信・販売中
- メンバーはそれぞれ芸能活動を継続
- グッズやライブ映像も再リリースの可能性あり
このように、ファンがKAT-TUNを感じる機会は今後も残されています。
そして何より、「またいつか」が現実になる可能性を、誰も否定していません。
■結論:「誰のせい」ではない、“自然な終着点”だった
グループの解散は往々にして“トラブル”や“衝突”を想起させます。
しかし、KAT-TUNの場合はまったく逆。
- 誰かが問題を起こしたわけではなく
- メンバー同士の関係は良好なまま
- それぞれが前向きな選択をした結果
という形で、極めて健全な解散だったと言えるでしょう。
中丸雄一さんの「俺のせいじゃない」という一言もまた、ファンの中に残っていた誤解を解き、3人の決断をそっと支えるメッセージになったのではないでしょうか。

コメント